車輪の再発明をするときは既存ソフトのコード見ないようにする

なぜなら徒労感を半端なく味わうから。

何かを作ろうと頑張れるのは、まだこの世に無いものを作っているからだ。いかに車輪の再発明が楽しいからと言っても、人間の本能として無駄なことをしているときは気が滅入る。

そこで大切なのは、どうやって自分の作業が「無駄ではない」「生産的である」と信じ続けるか、ということだ。

既存のデファクトとなってるようなOSSのコードとか仕様を読んだりすると、自分が作ってるものがいかにゴミでガラクタかということをまざまざと見せつけられてしまう。そうなると、モチベーションがゼロになり、コードを書かなくなってしまう。俺がコードを書く意味は? となる。しかし、コードは書くべきなのだ。

真に生産的>車輪の再発明>>>超えられない壁>コードを書かない

なのだ。

もちろん「真に生産的」であるのが一番いい。でもアイデアとかスゲー技術力がないと「真に生産的」にはなれない。

イデアも技術力もない人間は、車輪の再発明を繰り返してクンフーを積むしかないのだ。そして車輪の再発明を続けていくモチベーションを維持するためには、あえて「井の中の蛙」でいることが必要だという気がする。

車輪の再発明が一段落したら、もっとすごい「真に生産的」なコードを読み、打ちのめされて、また車輪の再発明にもどる。。。そんな感じで頑張るしかないのではないか、と思った。