佐賀市に行った
12月18日、それでも世界が続くなら、という名前のバンドのライブを観るために佐賀市へ向かった。道中SFでも読みながら行こうと思い、電車で行くことにした。
八代駅にはかなり早く着いた。グレッグ・ベアの『ブラッド・ミュージック』を読みながら待っていると、杖を着いたおばあさんがやってきた。
「あ〜良かった、間におうた」
こちらに笑いかけながら近づいてくる。最初は連れがいてその人に話しかけているのかと思ったが、どうやら一人のようだった。何度か文庫本に眼を落とし直したが、その様子から赤の他人の自分に話しかけているのだと気づいた。曖昧に笑って応えていると、おばあさんは身の上話を始めた。
「湯浦(ゆのうら)から来たっですよ。元々熊本におったっですけどね、娘がですね、お母さんが元気なうちに来てもらわんと困るていうて、1年半前に湯浦に行ったっですよ」
旦那さんは30年ほど前に亡くなったそうである。一人になってからも楽しく暮らしていたというが、現在70代中盤で、60歳で定年してからも70歳まで清掃の仕事を頑張っていたそうだ。30年前に夫をなくしたと言うことは、もしかしたら娘さんがまだ嫁入する前だったかも知れなく、苦労したのかもしれない。湯浦に移ってからは友達もできず、娘の旦那の家族にも気を使うし、熊本市のカラオケ仲間とも離れ離れになって集まりに参加できないのだという。
だが今日から熊本市のカラオケ仲間達と山鹿に2泊3日の旅行に行くのだそうだ。定期的に山鹿旅行は行っているらしい。
そんな話を聞いているうちに電車がやってきた。
「ならお兄ちゃん、気をつけてね」
おばあさんは楽しみでたまらないという調子で言い、電車に乗り込んだ。
途中荒尾で電車を乗り換え、鳥栖まで行き、そこで更に乗り換えである。JR九州は乗り換えの際の待ち時間が長い。鳥栖では30分待った。東京から大阪までの乗り換えをほとんど全て10分以内で連結させるJR東日本、JR東海、JR西日本の見事なダイヤ編成とは大違いである。30分の待ち時間の間に立ち食いそばを食べようかどうかかなり悩んだ。もう昼時であった。三本のホーム全てに立ち食いそば屋が設置してある。一人で立ち食いしている若い女性などもいる。鳥栖駅での立ち食いがかなり定着している証拠である。
結局、立ち食いは我慢して長崎本線に乗った。佐賀駅までの車窓は見渡す限り畑、といった風情であった。
佐賀駅に着いたは良いが、予約していたカプセルホテルへのチェックインまでにはまだ2時間あった。重い荷物を背負ったまま、とりあえず昼間の繁華街を見物しようと南へ向かった。
大きな通りから一本左(東)の通りが飲み屋街に当たるらしい。昼間なので当然店は開いていない。
ゲームバーや射撃バーというものを発見した。
異様に長いスナック街を歩くと、ようやくアーケードが見えて来る。
腹が減っていたので、昼飯が食いたかった。飲み屋街では昼飯を食わせてくれる店がない。アーケードにならきっとあるだろうと思っていた。
しかし日曜の昼間のアーケードがこのような状態であった。歩き疲れた成人男性にしかるべき炭水化物を含んだ白米、しかるべき脂質とタンパク質を含んだ揚げ物、しかるべき塩分を含んだ味噌汁を提供してくれる健全な飲食店は見当たらない。一軒辛麺屋を見つけたのだが、
このような次第で、どうやらランチタイムの営業はやめてしまったらしい。行政が中心市街地起死回生の一手として建設した大型商業施設の中にランチを提供しているお店もあったようなのだが、他所からやってきた男が一人で入るには気が引ける。もっと気安い大衆的な定食屋で良いのだ。だがそういう店が全く見当たらない。
完全なる昼飯難民としてぐるぐる歩いていると、やっと人気のある場所を見つけた。コンテナが設置してある。
どうやら親子連れが多いようだ。その直ぐ側にラーメン屋を見つけたので入った。善良そうな母娘の座るテーブルに相席させていただくことになった。子供はまだ小学生くらいに見えた。申し訳ない思いでいっぱいになり、すぐ食って立ち去ろうと思った。
ラーメンとチャーハンを頼んだのだが、大してうまくない。食っていると、隣の母娘の会話が聞こえた。
「ねえ、お母さんて昭和何年生まれ?」
娘がお母さんに尋ねている。そこでお母さんが答えてしまったら、間接的に隣にいる自分にもお母さんの年齢がわかってしまう。しかしこの場をごまかして娘の質問に答えないのも良くない。そもそもこの場でしか接することのないたまさか相席したに過ぎないどこの馬の骨とも分からない素性の知れない男に対して年齢がバレたところでどうということも無いはずだ。しかしお母さんは気持ち小声になり、生年を答えた。そして間髪入れず別の話題を展開した。どこの馬の骨とも分からない人間だからこそ、おいそれと知られたくない情報もある。私は、なおさらラーメンをチャーハンを早食いせねばと思い米と麺と汁をダイレクトに食道に流し込んだ。あのラーメン屋にはユニークな思い出はできたが、二度と行くことはあるまいと思う。そのお母さんは親切な人で、レンゲをとってくれたりした。
そんなことがあったせいでラーメン屋では満足できず、口直しを探していたらカレーパンを売っているという肉屋さんを見つけた。
カレーパンうまかった。
そして3時にチェックインし、荷物をおいてライブハウスへ向かった。ライブそのものの感想に就いては項を改めようと思う。佐賀GEILSは完全なる住宅街にあった。
こんな環境だったら、多分駐車場問題とかあるだろうし、近隣への配慮とか半端なくしないといけないんだろうなと思う。案の定、ライブの客は有料駐車場使えと書いてあるにも関わらず、受付で、
「このバンド終わったら出るけん車置かして」
とか店員に無理を言っている客がいた。そういう客がつくとバンドも迷惑なんじゃないのかなと思う。また、翌朝もう一度この辺を歩いたとき、こんな看板がやっぱりあった。
ライブハウス、スタジオの経営って大変だよな。マジで殺したくなるバンドマンとか居ると思うけど、佐賀GEILSさんには頑張って欲しい。
夜の佐賀のイルミネーションはきれいだった。