Qwerty使えなくなった
もはやQwertyは全然使えなくなってしまった。Dvorakが手に馴染んでしまった。しかし、10分くらい練習しているとやっぱりQwertyを思い出してくる。この瞬間は何回体験してみてもやっぱり不思議だ。全然さっぱり使えなかったというのに、いきなりすっと使えるようになっている。脳みそのなかの古い地層というのはこのようにいきなり復活してくるものなのらしい。
子供の頃や若い頃に習得した技術というのも、このようにいきなり復活してくることもあるのだろう。技術に限らず、単なる記憶もいきなり思い出されることがあるに違いない。Qwertyが復活した後は、やはりDvorakよりも速い。というより、Dvorakのほうは全然スピードが上がっていない。秒速4タイプ前後の速度で停滞したままだ。今が本当の停滞期なのだろう。この壁を破れれば速度もまた上昇に転じるのだと思う。
いまこの文章はQwertyで書いているが、やはりこの配列の方が卓上のモニターが揺れる。その分、手が広範囲に激しく動いているということなのだろう。Dvorakでは英単語を入力しているときにはほとんど手を動かさなくて書ける。英語圏の人にとってはDvorakはかなり合理的なのだろうと感じる。しかし、日本語の入力に関しては正直それほどQwertyとの差があるとは思えない。鉤括弧の位置や、ショートカットキーが著しく不便になることを考えれば日本語入力に関してはQwertyの方が現状優れているかもしれないと思う。とはいえ、ショートカットキーはDvorak用に最適化されれば済むことではある。ViのhjklやCmd+x, Cmd+c, Cmd+ v, Cmd+z 系のショートカットは、文字に意味があるのではなくてキーボード上の位置に意味がある。キーの配列とは無関係だといってよい。
世の中が早くDvorakに最適化されたら良いのにと思う。また、日本語独自のDvorak系キー配列も標準化されて欲しい。やはり日本語だとカ行やジャ行やパ行が激しく打ちづらい。
Dvorak日記7
今日のDvorak
3.2〜3.7タイプ/秒
今日のQwerty
切り替え直後: 2.5タイプ/秒
慣らした後: 5.7タイプ/秒
ここにきて、Dvorakの速度が切り替え直後のQwertyの速度を完全に追い越してしまった。切り替え直後はもう殆ど使い物にならない。「ああ、もう俺はQwertyを使えなくなってしまったのだろうか!」と不安に思いながら数百文字打っていると、すぐに思い出してくる。
思いだす、というか、体もしくは脳が入れ替わっている感じがする。なぜなら、自分自身はキーの位置など思い出していないのに、指が勝手に思い出すからである。しばらくQwertyモードで打っていると自然と指がQwertyで打てるようになる。全く意識しないのにだ。これはDvorakの練習をはじめてから一番驚いたことかもしれない。あらためて、タイピングはほとんど無意識下で行われていることなのだと感じた。
プログラミングも、タイピングにいちいち顕在意識を汚染されずに済むようになって初めて可能になるものだと思う。あるいはキーボードを使って何かしら知的活動をすること自体そうである。
更に遡れば、キーボードが無い時代に文字を書いていた人たちの知的活動も、文字を書くことそのものは身体的に無意識的に行われていたに違いない。知的活動も身体的かつ無意識的な土台の上に成り立つものだと再確認した。