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それでも世界が続くならのライブを観に行った

 去る12月18日、それでも世界が続くなら(以下それせか)、というバンドが佐賀でライブをすると言うので観に行った。ONE PLUS ONEというイベントだ。ジャン・リュック・ゴダールの映画と関係あるのだろうか。だいぶ昔に観たが内容は殆ど忘れてしまった。イベント自体は2時から始まっているようなのだが、それせかの出番は9時くらいで、イベントの終了は10時だから、8時間である。流石に8時間もライブハウスでライブを観るのは肉体的に無理だろうと思ったので途中から入場した。

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 会場に着いたのは5時くらいだった。もっと遅く行くつもりだったのだが、佐賀ではあまりすることがなくて早めに会場に行くことにした。

 それせか以外に幾つかのバンドをみたが、特に印象に残っているのはミナワというバンドのギターの人。初期のSUGIZOが使っていたEDWARDSの変な形のギターを使っていた。ディレイかけてのグリッサンドなどもSUGIZOっぽい。ライブ後に物販のブースに座っていたボーカルキーボードの女性に聞いてみたら、やはりあのギターの人はSUGIZOが大好きであるらしい。このイベントで唯一自分が慣れ親しんだものに出会ったような気持ちになった。

 それせかの前の so far, so closeというバンド(ライブハウスの経営者でもありイベントの主催者でもあるキハラさんという方がボーカル・ギターをしている)も渋い音楽性の上にハイトーンの爽やかなボーカルが乗る特徴的なバンドで、それせかを観に来たと思しき一人でやってきたっぽい女子たちも思わず笑顔になって手を叩いて聞き惚れているようであった。

 so far, so closeの前に一曲だけということで出てきた花火文という人も印象にのこった。「〽どうして僕たちはすぐ死にたくなってしまうんだろう」というような歌を歌っていたが、腕の切り傷の痕もあらわに登場したからかやけに説得力がある。曲もシンプルでいいものだった。あの傷跡は、冬のライブでもあるし、長袖を着て隠しても良いものである。だがあえて半袖姿で登場して、その傷もろともさらけ出して歌うという意図があったのだろうと推測する。その気持ちのありかたが良いと思う。もしかしたら全然そんなこと意図してないのかもしれないけど。

 各バンド、転換と一緒にサウンドチェックもやっていたようである。多分リハをスタート前にやると、バンドの入りが限りなく早くなってしまうからであろう。

 それせかのライブが始まる頃には腰が死ぬほど痛くなっていた。多分それせかが始まったのが9時位だったろうから、もう4時間立ちっぱなしだった。常にステージを見上げているから、微妙にそり気味の姿勢になっているのも良くなかったのだろう。やはりライブを続けて観るのは2時間くらいが適度だと思う。一バンド終わるごとにサウンドチェックをするから転換に時間がかかるようであり、その度に手持ち無沙汰になってビールを飲んだ。自分でも明らかに体臭が酒臭くなっているのがわかった。多分佐賀GEILSの売上に結構貢献したと思う。

 そしてそれせかのライブだが、照明がほぼ床に置いた電球一個だけというのが独特だったし、バンドのカラーに合っている感じだった。ステージパフォーマンスが暴力的で、殺気を感じる良いバンドだ。一曲終わるとボーカルギターの人がドラムセットにギターを投げつける様なふりをする。初めてライブハウスに来たっぽい雰囲気の女子たちが若干引いた顔をしていたが、やがて慣れたようだ。

 一曲終わるごとにギター陣がチューニングを合わせていた。激しく弾くのですぐ狂うのだろう。最前列にいるのはいずれもおとなしそうな若者たちであり、みんなほとんど直立不動で聞いていた。でもそういうライブだから良いと思う。so far, so close のキハラさんがステージ上で述べていたが、はしゃいで盛り上がるだけがライブの聴き方ではない。俺も普段そういう聴き方はしない。

 しかし、それせかが最後の一曲をやったあと、メンバーが楽器を置いて去ったのだが、幕が閉じず、アンコールがいちおう予定されているのかと思った。しかしこのイベントは(多分)ライブ慣れしていない、しかも若いお客が多い。最後の曲のあとの拍手が、なんとなく収束して消えてしまった。普通のライブならトリに出るメインのバンドは鳴り止まない拍手に応えてアンコールで1,2曲やるものだ。だが拍手が消えてしまってはいくら予定していようとも出ていきようがない。あそこで観客側は拍手を意地でも続けるべきだったのだろうか。それともバンド側は特にアンコール曲みたいなものは本当に予定していなかったのだろうか。BGMがなり始めた頃、「本当にこれで終わりなの?」という顔で最前列にずっと立っていた女子たちの顔がなんとも切なかった。俺はもうおっさんなので腰が痛く、物販を買う気力もなく、さっさとライブハウスを出ていった。

 いいイベントだったので来年もまた行きたいし、このイベントに限らず佐賀や久留米にライブ観に行ったり映画観に行ったりするのも良いなと思った。今度は車で行って帰りに温泉入ったりしたい。

佐賀市に行った

 12月18日、それでも世界が続くなら、という名前のバンドのライブを観るために佐賀市へ向かった。道中SFでも読みながら行こうと思い、電車で行くことにした。

 八代駅にはかなり早く着いた。グレッグ・ベアの『ブラッド・ミュージック』を読みながら待っていると、杖を着いたおばあさんがやってきた。
「あ〜良かった、間におうた」
 こちらに笑いかけながら近づいてくる。最初は連れがいてその人に話しかけているのかと思ったが、どうやら一人のようだった。何度か文庫本に眼を落とし直したが、その様子から赤の他人の自分に話しかけているのだと気づいた。曖昧に笑って応えていると、おばあさんは身の上話を始めた。
「湯浦(ゆのうら)から来たっですよ。元々熊本におったっですけどね、娘がですね、お母さんが元気なうちに来てもらわんと困るていうて、1年半前に湯浦に行ったっですよ」
 旦那さんは30年ほど前に亡くなったそうである。一人になってからも楽しく暮らしていたというが、現在70代中盤で、60歳で定年してからも70歳まで清掃の仕事を頑張っていたそうだ。30年前に夫をなくしたと言うことは、もしかしたら娘さんがまだ嫁入する前だったかも知れなく、苦労したのかもしれない。湯浦に移ってからは友達もできず、娘の旦那の家族にも気を使うし、熊本市のカラオケ仲間とも離れ離れになって集まりに参加できないのだという。
 だが今日から熊本市のカラオケ仲間達と山鹿に2泊3日の旅行に行くのだそうだ。定期的に山鹿旅行は行っているらしい。
 そんな話を聞いているうちに電車がやってきた。
 「ならお兄ちゃん、気をつけてね」
 おばあさんは楽しみでたまらないという調子で言い、電車に乗り込んだ。

 途中荒尾で電車を乗り換え、鳥栖まで行き、そこで更に乗り換えである。JR九州は乗り換えの際の待ち時間が長い。鳥栖では30分待った。東京から大阪までの乗り換えをほとんど全て10分以内で連結させるJR東日本JR東海JR西日本の見事なダイヤ編成とは大違いである。30分の待ち時間の間に立ち食いそばを食べようかどうかかなり悩んだ。もう昼時であった。三本のホーム全てに立ち食いそば屋が設置してある。一人で立ち食いしている若い女性などもいる。鳥栖駅での立ち食いがかなり定着している証拠である。
 結局、立ち食いは我慢して長崎本線に乗った。佐賀駅までの車窓は見渡す限り畑、といった風情であった。

 佐賀駅に着いたは良いが、予約していたカプセルホテルへのチェックインまでにはまだ2時間あった。重い荷物を背負ったまま、とりあえず昼間の繁華街を見物しようと南へ向かった。
 大きな通りから一本左(東)の通りが飲み屋街に当たるらしい。昼間なので当然店は開いていない。
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 ゲームバーや射撃バーというものを発見した。
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 異様に長いスナック街を歩くと、ようやくアーケードが見えて来る。
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 腹が減っていたので、昼飯が食いたかった。飲み屋街では昼飯を食わせてくれる店がない。アーケードにならきっとあるだろうと思っていた。
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 しかし日曜の昼間のアーケードがこのような状態であった。歩き疲れた成人男性にしかるべき炭水化物を含んだ白米、しかるべき脂質とタンパク質を含んだ揚げ物、しかるべき塩分を含んだ味噌汁を提供してくれる健全な飲食店は見当たらない。一軒辛麺屋を見つけたのだが、
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 このような次第で、どうやらランチタイムの営業はやめてしまったらしい。行政が中心市街地起死回生の一手として建設した大型商業施設の中にランチを提供しているお店もあったようなのだが、他所からやってきた男が一人で入るには気が引ける。もっと気安い大衆的な定食屋で良いのだ。だがそういう店が全く見当たらない。
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 完全なる昼飯難民としてぐるぐる歩いていると、やっと人気のある場所を見つけた。コンテナが設置してある。
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 どうやら親子連れが多いようだ。その直ぐ側にラーメン屋を見つけたので入った。善良そうな母娘の座るテーブルに相席させていただくことになった。子供はまだ小学生くらいに見えた。申し訳ない思いでいっぱいになり、すぐ食って立ち去ろうと思った。
 ラーメンとチャーハンを頼んだのだが、大してうまくない。食っていると、隣の母娘の会話が聞こえた。
「ねえ、お母さんて昭和何年生まれ?」
 娘がお母さんに尋ねている。そこでお母さんが答えてしまったら、間接的に隣にいる自分にもお母さんの年齢がわかってしまう。しかしこの場をごまかして娘の質問に答えないのも良くない。そもそもこの場でしか接することのないたまさか相席したに過ぎないどこの馬の骨とも分からない素性の知れない男に対して年齢がバレたところでどうということも無いはずだ。しかしお母さんは気持ち小声になり、生年を答えた。そして間髪入れず別の話題を展開した。どこの馬の骨とも分からない人間だからこそ、おいそれと知られたくない情報もある。私は、なおさらラーメンをチャーハンを早食いせねばと思い米と麺と汁をダイレクトに食道に流し込んだ。あのラーメン屋にはユニークな思い出はできたが、二度と行くことはあるまいと思う。そのお母さんは親切な人で、レンゲをとってくれたりした。

 そんなことがあったせいでラーメン屋では満足できず、口直しを探していたらカレーパンを売っているという肉屋さんを見つけた。
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 カレーパンうまかった。
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 そして3時にチェックインし、荷物をおいてライブハウスへ向かった。ライブそのものの感想に就いては項を改めようと思う。佐賀GEILSは完全なる住宅街にあった。
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 こんな環境だったら、多分駐車場問題とかあるだろうし、近隣への配慮とか半端なくしないといけないんだろうなと思う。案の定、ライブの客は有料駐車場使えと書いてあるにも関わらず、受付で、
「このバンド終わったら出るけん車置かして」
 とか店員に無理を言っている客がいた。そういう客がつくとバンドも迷惑なんじゃないのかなと思う。また、翌朝もう一度この辺を歩いたとき、こんな看板がやっぱりあった。
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 ライブハウス、スタジオの経営って大変だよな。マジで殺したくなるバンドマンとか居ると思うけど、佐賀GEILSさんには頑張って欲しい。

 夜の佐賀のイルミネーションはきれいだった。
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Qwerty使えなくなった

もはやQwertyは全然使えなくなってしまった。Dvorakが手に馴染んでしまった。しかし、10分くらい練習しているとやっぱりQwertyを思い出してくる。この瞬間は何回体験してみてもやっぱり不思議だ。全然さっぱり使えなかったというのに、いきなりすっと使えるようになっている。脳みそのなかの古い地層というのはこのようにいきなり復活してくるものなのらしい。

子供の頃や若い頃に習得した技術というのも、このようにいきなり復活してくることもあるのだろう。技術に限らず、単なる記憶もいきなり思い出されることがあるに違いない。Qwertyが復活した後は、やはりDvorakよりも速い。というより、Dvorakのほうは全然スピードが上がっていない。秒速4タイプ前後の速度で停滞したままだ。今が本当の停滞期なのだろう。この壁を破れれば速度もまた上昇に転じるのだと思う。

いまこの文章はQwertyで書いているが、やはりこの配列の方が卓上のモニターが揺れる。その分、手が広範囲に激しく動いているということなのだろう。Dvorakでは英単語を入力しているときにはほとんど手を動かさなくて書ける。英語圏の人にとってはDvorakはかなり合理的なのだろうと感じる。しかし、日本語の入力に関しては正直それほどQwertyとの差があるとは思えない。鉤括弧の位置や、ショートカットキーが著しく不便になることを考えれば日本語入力に関してはQwertyの方が現状優れているかもしれないと思う。とはいえ、ショートカットキーはDvorak用に最適化されれば済むことではある。ViのhjklやCmd+x, Cmd+c, Cmd+ v, Cmd+z 系のショートカットは、文字に意味があるのではなくてキーボード上の位置に意味がある。キーの配列とは無関係だといってよい。

世の中が早くDvorakに最適化されたら良いのにと思う。また、日本語独自のDvorak系キー配列も標準化されて欲しい。やはり日本語だとカ行やジャ行やパ行が激しく打ちづらい。

Dvorak日記8

今日のDvorak
3.3〜4.1タイプ/秒

今日のQwerty
切り替え直後: 2.5タイプ/秒
慣らした後: 6タイプ/秒

Dvorakでのタイピングがほとんど苦にならなくなった。あとは慣れてゆくだけなのだろう。
仕事ではまだ使えそうではなく、職場ではずっとQwertyなので、家に帰ってから極力パソコンを立ち上げ、コーディングやシェルの操作をDvorakで慣れるために自宅学習をするようになった。思わぬ副産物的な感じだ。良いことだ。

このままDvorakで人生の何もかもがうまくいって欲しい。

Dvorak日記7

今日のDvorak
3.2〜3.7タイプ/秒

今日のQwerty
切り替え直後: 2.5タイプ/秒
慣らした後: 5.7タイプ/秒

ここにきて、Dvorakの速度が切り替え直後のQwertyの速度を完全に追い越してしまった。切り替え直後はもう殆ど使い物にならない。「ああ、もう俺はQwertyを使えなくなってしまったのだろうか!」と不安に思いながら数百文字打っていると、すぐに思い出してくる。
思いだす、というか、体もしくは脳が入れ替わっている感じがする。なぜなら、自分自身はキーの位置など思い出していないのに、指が勝手に思い出すからである。しばらくQwertyモードで打っていると自然と指がQwertyで打てるようになる。全く意識しないのにだ。これはDvorakの練習をはじめてから一番驚いたことかもしれない。あらためて、タイピングはほとんど無意識下で行われていることなのだと感じた。

プログラミングも、タイピングにいちいち顕在意識を汚染されずに済むようになって初めて可能になるものだと思う。あるいはキーボードを使って何かしら知的活動をすること自体そうである。

更に遡れば、キーボードが無い時代に文字を書いていた人たちの知的活動も、文字を書くことそのものは身体的に無意識的に行われていたに違いない。知的活動も身体的かつ無意識的な土台の上に成り立つものだと再確認した。

dvorak日記6

今日のDvorak
2.6〜3タイプ/秒

今日のQwerty
5タイプ/秒

昨日とあまり変わらず。もうそろそろ停滞期的のものに入ったのかも知れない。
ただ、数字が伸びていないのに妙な話ではあるが、日に日にDvorakに慣れているという感じはますますする。

このまま訓練を重ねれば悟りを開く日は近いような気がする。
風・・・なんだろう吹いてきてる確実に、着実に、俺たちのほうに。

Dvorak日記5

この数日忙しく、日記を書いていなかった。

今日のDvorak 2.8〜3タイプ/秒

今日のQwerty 切り替え直後: 4.6タイプ/秒 その後: 5.7タイプ/秒

数字的には不思議なことに、日に日に成績が落ちている。一向に早くならない。
感覚としては、徐々に考えずに打てるようになってきた。タイプしていても、そのこと自体による脳の疲労をさほど感じなくなったのだ。

その分タイプミスは多くなったし、そのせいで正確なタイプのスピードは全然伸び悩んでいる。
早くDvorakQwerty並みに打てるようになりたいものである。